sunsun fineな日々

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二本松市・安達ヶ原の観世寺と黒塚:安達の鬼婆伝説を訪ねて

前回の記事【花の福島】二本松市・安達ヶ原ふるさと村の曼珠沙華と「絹の家」の続きです。

安達ヶ原の鬼婆伝説と観世寺

二本松市北部の阿武隈川東岸は「安達ヶ原」と呼ばれていて,ここには古くから「鬼婆伝説」が伝わっています。

みちのくの 安達ヶ原の 黒塚に
鬼こもれりと 聞くはまことか

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観世寺本堂の歌碑。「黒塚」は鬼婆を埋葬した塚とされています

現在この地には,「安達ヶ原ふるさと村」という素敵な公園がありますが,そのすぐそばに観世寺というお寺があります。このお寺には鬼婆が祀られています。

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鬼婆石像。観世寺にて

先日,夕暮れ近い時間帯に観世寺を訪ねました。お寺の門をくぐったら,拝観受付で「宝物館をぜひご覧ください」とおすすめされたので,本堂で手を合わせたあとさっそく覗いてみました。

観世寺宝物館の展示がコワイよ!

宝物館の中は撮影禁止だったので写真はないのですが,鬼婆伝説に関する恐ろしい展示が…。

展示されていた絵巻(その絵柄がまた怖いんですよ!)によれば,その内容はこうです。

昔(奈良時代)この地の岩屋に,岩手という名のおばあさんが住んでいた。岩手には病気を患った娘がおり,遠く離れて暮らしていた。

ある日旅人夫妻が岩手の元にやってきて,一夜の宿を求めた。旅人の婦人の方は身重で,その名を恋衣といった。

旅人夫妻が寝静まった時,岩手は娘の病気には赤子の肝が効くという易者の言葉を思い出し,出刃庖丁を使って,赤子を身ごもっていた恋衣を殺してしまった。

しかしその直後,岩手は殺した恋衣が自分の娘であったことに気づいた。

気が触れてしまった岩手は,その後訪ねてくる旅人を次々と殺しては喰らう鬼婆となった。

何年かののち,東光坊祐慶というお坊さんがこの岩屋を訪ねた。岩手が薪を取りに岩屋を留守にした際,祐慶は奥の部屋を覗いたところ,そこには人骨が累々と積み重なっていた。

驚いた祐慶は這々の体で逃げ出したが,それに気づいた岩手が鬼の形相で追いかけてきた。祐慶は仏の光で岩手を滅ぼした。

その後,鬼婆・岩手は村人たちによって供養された。

なんとも哀しく,また恐ろしい物語です。ちなみにこの観世寺は,岩手を滅ぼした東光坊祐慶によって開山されたとされています。

宝物館にはこの絵巻の他に,鬼婆を模った面や,地獄の絵図などもありました。それに加えて,「人肉を煮た鍋」とか「赤子の肝を入れた壺」とか,やめてぇ〜!っていうようなものも (((;゚Д゚)) ちょうどお寺の境内には真っ赤な曼珠沙華が咲いていて,雰囲気ありすぎ!

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曼珠沙華に彩られた鬼婆供養の塚

恋衣を殺した時に使った包丁を洗ったという「出刃洗いの池」なんていうのもあるし (^ ^;;) 

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「出刃洗いの池」。「血の池とも称しております」って,コワイからやめてー!

境内を歩く

宝物館を出たら,境内を見て回ります。毘沙門天や阿弥陀如来像が美しく,また60年に一度ご開帳されるという秘仏「白真弓如意輪観世音菩薩」を収めた観音堂もきれいです。

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観世寺の薬師如来像。優しいお姿です

そして観音堂の裏手に回ってみると,大岩が積み重なった奇妙な一角があります。

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「笠石」

鬼婆の棲んだ岩屋–––安達ヶ原の鬼婆と称せる鬼女の棲みたる処なり 

恐ろしい物語は,ここで繰り広げられていたのでしょうか。

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「笠石」

 

「夜泣き石」

往来の旅人,道中の夜もすがら,この奇怪な岩屋に差し掛かれば,昔時,鬼婆に殺られし赤子と覚ゆる泣き声が,この処より夜な夜なに聞こえたという夜泣きの石であります

ひぃ〜!

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「夜泣き石」

 

「祈り石」

行者東光坊,懐疑の念にかられ,寝間を覗くと屍骸の山,山積している。恐怖に戦き逃げ去るが,この様子を感知した鬼婆はもはや追いかけるのが困難とみて,それ以上前進せぬようこの石に封殺の祈釘を打ち込みて追いかける。この後,三度返りに於いてこの両雄の対決を見るに至る

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「祈り石」と「甲羅石」

 

「安堵石」

誰にも語れぬ胸の内なる苦しみを,この石に託して心身の悩みを追放し執着の手を緩められたという,語り継がれし,聞き受けの石であります

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「安堵石」

 

…壮絶すぎます!

岩が積み重なった間に置かれた小さな仏様が,鬼婆や犠牲になった人たちの魂を救済しようとしているように見えました。

境内には蚕養碑も

意表を突かれたのは,この巨岩群のすぐ脇に「蚕養神の碑」が建っていたことです。鬼婆伝説にまつわる展示物や遺構に混じっていかにも唐突な感じがしたのですが,これはこの地方で長く養蚕が行われてきたことを示しているのでしょう。

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観世寺境内の蚕養碑

蚕養碑

この碑は,文久元年酉年,養蚕繁盛を祈願して建立されたものです

この地方の養蚕の歴史については,こちら ↓ の記事もご覧ください。

www.sunsunfine.com

黒塚–––鬼婆埋葬の地へ

観世寺の門を出て100 mの場所,阿武隈川のほとりに「黒塚」があります。ここは鬼婆が埋葬され,供養された地とされているところです。

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鬼婆埋葬の地・黒塚

強くなってきた雨の中,心に重い物語を秘めて,黒塚はひっそりと建っていました。

奥州安達ヶ原黒塚は,奈良時代の神亀三年 (726年) 紀州熊野の僧,東光坊祐慶が,如意輪観音菩薩を念じ,破魔の真弓に金剛の矢をつがえ,鬼婆を射て,埋葬したところである。

平兼盛が詠んだ

 みちのくの 安達ヶ原の 黒塚に
 鬼こもれりと 聞くはまことか

の歌をはじめ,歌舞伎,謡曲,浄瑠璃などで昔から演じられている安達ヶ原の鬼婆の物語は,全国的に知られている。

なお,菩提寺である観世寺には,鬼婆の住処であった奇岩怪岩の岩屋が,今なお残っており,

俳人 正岡子規の「涼しさや聞けば昔は鬼の家」の句碑がある。

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そして,黒塚の周りには曼珠沙華が鮮やかに咲き乱れていました。

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黒塚の近くに咲いていた曼珠沙華

おわりに

安達ヶ原は心に残る伝説を秘めたところです。観世寺の近くの安達ヶ原ふるさと村も素敵な公園です。観光地としてはあまり知られていないと思いますが,オススメです。