「遠野」という地名には,どこか郷愁を誘う,懐かしい響きがあります。また同時に遥かで神秘的な雰囲気も持ち合わせています。
この町は民話のふるさとであり,柳田國男の「遠野物語」に描かれた,河童やオシラサマ,座敷わらし,寒戸の婆などの,妖怪の住まうところでもあります。
そんな遠野の一角に,荒神神社と名付けられた小さな神社があります。
荒神神社へ
遠野へは,盛岡から車で1時間半くらいで着きます。盛岡の南の紫波町を抜けると旧大迫町(今は花巻市),早池峰山の懐です。そして遠野へ。今年の冬は雪が少なくて,走りやすいです。
稲の刈り入れが終わり,うっすらと雪が積もった田園風景の中を走っていくと,荒神神社は唐突に現れます。
折しも夕暮れ時で,赤く染まった空を背景にして,田んぼの中に小さなお社がぽつんと佇んでいます。まるで絵本の中のようなところです。
振り返ると六角牛山(ろっこうしやま)が夕陽に染まりながら,荒神神社を見守るようにそびえています。
六角牛山のふところで小さな神社を前にしたこの場所に立つと,民話と伝承に彩られた空気が,ひときわ強く感じられます。
遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、北の方附馬牛(つきもうし)の奥に在り。東の方には六角牛山(ろっこうしさん)立てり。石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。
(柳田國男「遠野物語」から)
大昔、母の女神が三人の娘に「今夜よい夢を見た娘に、最もよい山をあげよう」と三人の女神たちに語って眠った。夜が更けて,天より霊華が降りて,姉の女神の胸の上に止ったが,末の女神がその華に気づき、こっそり取り上げ自分の胸の上に乗せて眠ったので、最も美しい早池峰山をもらうことになった。姉たちは六角牛山と石神山をもらった。若い三人の女神はそれぞれ三つの山に住み、今もこれを治めていることから,遠野の女たちは女神の嫉妬を恐れ,今でもこの山に登らないとされている。
…そんな話です。実際,かつては遠野三山(早池峰山,六角牛山, 石神山)は女人禁制の山だったようです。
カッパ淵にも寄ってきました
すでに陽が落ちてあたりは薄暗くなっていますが,近くのカッパ淵にも寄って行きます。
カッパ淵は常堅寺の奥にあります。常堅寺を守っているのは「かっぱ狛犬」。頭の上にお皿が乗っています。
そしてカッパ淵。夏は滔々と水が流れるところですが,今は水面がところどころ凍っていました。
駐車場に戻ってから気がついたのですが,トイレの看板もかっぱでした。可愛い (^◡^)
おわりに
六角牛山に関連して引用した「三人の女神」の女神の話でわかるように,遠野は「民話の里」と言われていますが,メルヘンチックなだけではありません。深いところで想像力を書き立てるような,自然への畏怖を感じさせるような話が伝わっているように思います。遠野物語の「寒戸の婆」なんかとても怖い話ですよね。
荒神神社も美しいだけではなく,眺めているといろんな気持ちが去来するところでした。
はじめ雪で覆われた荒神神社を期待していったのですが,今年の冬は本当に雪が少なく,うっすらと積もっている程度でした。でもこれはこれで悪くなかったと思います。
ここは田んぼが青々とした夏や田んぼが黄金色に染まった秋もきれいなので,また来てみたいと思います。
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