息子が大人になりました
昨日,息子が誕生日を迎え,18歳になりました!
制度上は「大人になった」ことになります。早いなあ。正直,あっという間でした。
夜中の病院で呱々の声が上がるのを,今かいまかと待っていた時のことを,ついこの間のように思い出します。
赤ちゃんだった時代,幼稚園児だった時代,小学生だった頃,中高生になったここ数年。
いろいろあったけど,本当に楽しかった。
でも「これで子育て一段落」という感じは全然なくて,まだ続きます。
とりあえず,いま息子は高3・受験生だから,それなりにサポートしてやらないといけないし。
それに息子は大学生になっても(まだなれるかどうかわからないけど)「うちから大学に通いたい」と言っているし。
「だって自宅にいるほうが絶対いいじゃん!」だそうです。
自分が学生の頃,一人暮らしをしたことはとても勉強になったと思ってるんですけどね。でもうちが,息子にとって居心地がいいところなら,それはそれでうれしいことです。
18年前のあの日
息子は,妻の実家がある岩手の病院で生まれました。生まれたのは,当初の予定日を1週間過ぎてから。
今でものんびり屋で,見ていて歯痒いくらい時間を気にしないところがあるけど,それは生まれついてのこと…なのかな?
お産・誕生は命懸けの営み,それは母親にとっても,生まれてくる赤ん坊にとっても。
それはよくわかっていたから,とにかく無事に生まれてきてほしい。僕はそれだけを願っていました。
息子が生まれる前に,周りの人から「男の子がいい?女の子がいい?」って聞かれることがありますよね。
僕はそんな時,「どちらでも」と言葉を濁して,怪訝な反応をされることもありました。でも,無事に生まれてくること以上のことを望んではいけないような気さえしていたんです。
実際,息子は難産でした。でも頑張ってくれました。妻も息子も。
僕は泣きました。今までの人生で一番うれしかったのは,間違いなく君が生まれてきた時だな。
息子が3ヶ月になるまで岩手に通いました
妻が岩手で仕事をしていたこともあり,最初は「通い婚」でした。週末ごとに,僕が岩手に行ったり,時々妻が東京に来てくれたり。
1週間の仕事で疲れちゃうから,土曜日は早起きできずに,お昼くらいに岩手に着くこともあったんですけどね。
でも息子が生まれたら一刻も早く会いたくて,始発の新幹線で岩手に行くようになりました。「ぜんぜん態度が違うじゃない!」って妻に怒られたりしましたが(苦笑)。
土曜日と日曜日を岩手で一緒に過ごすことが3ヶ月続いたんですが,月曜日の早朝は息子と離れるのが辛くて,ベソをかきながら駅に向かってたっけ。
東京で暮らし始めた頃
息子が3ヶ月になった頃,妻といっしょに東京に来てくれました。
熱を出したといっては心配し,転んだといっては心配し。でも日々大きくなりました。
息子は夜,1時間おきくらいに目を覚ましておっぱいを欲しがりました。そのうち母乳だけでは足りなくなり,母乳とミルクのミックスになりました。
僕は妻と一緒に起きて,妻がおっぱいをあげている間にミルクを作り,授乳のあと飲ませてあげたりしました。そのあと妻をマッサージしてあげたり。
今思えば,アドレナリンが出てたからできたのかなって思います。
2歳になる少し前,妻と相談して,断乳をすることに決めました。
断乳についてはいろんな意見があるみたいですが,自立していく息子の背中を押してやりたいと思ってそう決めました。
その頃,某所に書いていた育児日記から(ちょっと改変しています)。
断乳を始めてから10日が経った。
息子はおっぱいなしの生活にすっかり慣れたようだ。
先週はずっとパパとお風呂に入っていたけど,パパが出張に行っていた週末には妻と入って,久しぶりにみたおっぱいに,片手をあげて「やあ!」と言ってあいさつしたそうだ (^_^)。
「卒乳」できたと認定します!おめでとう。おっぱいを飲まなくなって,いくつか息子に変化がみられるようになった。
まず,食べる量がものすごく増えた。
もともとよく食べる子だったけど,断乳後「オイオイ,そんなに食べて大丈夫か!?」というくらい食べるようになった。
朝,ご飯をたくさん食べる。
そして10時くらいに「まんなー!」と言って,おやつを食べる。それも,ビスケットを3枚,バナナを一本,牛乳を1杯,チーズを1コといった感じで,しっかり食べる。
その2時間後くらいに,お昼ご飯をたくさん食べる。
そして昼寝したあと,3時くらいにまた「まんなー!」と言っておやつを食べて,さらに5時くらいにまたまたおなかが空いたといって,パンを1枚,バナナを一本…と言った調子でしっかり食べて,その2時間後には,また夕ご飯をがっちり食べる。それから,夜,よく眠るようになった。
卒乳をすると,夜中に目を覚まさなくなって,よく寝るようになるというのは聞いていたけど,本当にそうだ。どうしてなのかはわからないけど。それから,他にもある。
おしゃべりが急に上手になった。
そして,トイレでうんちが出来るようになった。
これは断乳と関係があるかどうかわからないけど,なんとなく関係があるような感じがしている。
顔つきもちょっとお兄ちゃんになったような気がするのだ。本当にがんばった。えらいぞ,息子よ。
とうさんかあさん泣きました
うれしくてうれしくて泣きました
この頃,息子が少しずつ言葉を喋るようになっていったんですけどね。最初に喋った言葉は「ちーじゅ(チーズ)」でした。今でもチーズ好きの息子です。
そして言葉を30コくらい覚えた頃に,こんなことが…(^ ^;)
今日,息子のしゃべる,意味のある言葉が一つ増えました。
夜,パパが冷蔵庫からビールを出して飲もうとしたら,息子が「びーるー」。
お?と思って「息子クンすごいねー」と笑っていたら,うれしかったのか,何度も「びーるー」「びーるー」と言って,さらにゴクゴクゴクッと飲むマネをして「ぷはーっ」までやってくれました (^_^)/ 。
すごいぞ,息子よ。
でも,あんまり外で「びーるー」「びーるー」って言っちゃダメだぞ。
パパが大酒飲みで,いつもそう言ってるみたいだからな。
そういえば,息子としゃべっていて面白かったのは,青がパパの色で,黄色が自分の色だと言っていたこと。
ある日絵本を読んであげてたらそう言い出したんですよね。
ちょっと前から,息子は青い色はパパの色だと思っているようだ。
ままごとをしていても,青いコップを「パパ」といって渡してくれたりする。少し前から,青いものを見つけると「パパいろ!」と言う (^_^)。
散歩中でも,うちにいる時でも,青いものを見つけては「パーパぃよ!」と言う。
でも,「いろ」がうまく言えずに,「パーパぃよ!」と聞こえる。そして最近は,黄色が自分の色になったようで,黄色いものを見つけると「〇〇 (自分の名前) ぃよ!(〇〇色)」と言う。
妻の色は幅広いようで,赤いものや,時には緑色のものを見つけて,「あーしゃんぃよ!(あーしゃん色)」と言う。
そんな息子も3歳になり,幼稚園入園が迫ってきました。
近くには何箇所かの幼稚園があって,どこに入れるかを妻と毎晩相談しました。時には2時くらいまで話すこともありました。
新米パパとママ。何事も初めてで,わからないことだらけだったんですよね。
とはいえ,この頃の息子は本当に可愛くてね。「子供は3歳までに,その可愛さで一生分の親孝行をする」って誰かに聞いたんですが,本当にその通りでした。
今でも↓これを読むと泣きそうになります
幼稚園に入りました
幼稚園にはバスで登園。最初の2日は泣いていたんですが,3日目に「今日は泣かないよ」と言ってバスに乗り込んで行きました。
その次の日には,バスに乗るときに「こわくない!」と言いました。
こっちが泣きそうになりましたよ。
そういえば息子が小さい頃,僕は自分のことを「パパ」と呼ばせたくて,妻は「おかあさん」と呼ばせたくて。実際そんなふうに呼んでたんですけどね。
幼稚園で周りの子がみんな「ママ」というもんだから,それが ”フォーマルな” 言い方だと思ったみたいなんですよね。園の参観日,周りに人がたくさんいるところで,急に「ママー」って呼んだんですよ。これにはびっくり!
そして食べることが大好きだった息子,園の子供が集まって遊んでる時,妻のところにやってきて「おなかが ぐぅ て鳴ったよー」。妻が「もう少ししたらおやつの時間だからね,もうちょっと遊んでおいで」と送り出したんですけどね。その3分後くらいにまた戻ってきて,「おなかが ぐぅ て3回鳴ったよー」って。
息子はどちらかというとおとなしい方で,この頃は友達の中に入っていけるか,いつも心配していました(それは小学校に上がっても続きました)。
でも園の先生がとても面倒見の良い方で,楽しく通うことができました。
小学校
めでたい小学校入学,とても楽しみだったし,本人も張り切ってたんですが…。
直前に水疱瘡にかかってしまい,入学式に出られなかったんですよ。初登校をしたのは,3日くらい経って,授業も始まってからでした。
今朝息子は病院に行って,「登校OK」をもらって来た。
でも11時頃うちに戻って来て, お母さんに「じゃあ学校に行こうか?」と聞かれると, 不安がって「明日からにするー」と言った。実はパパは熱があって,昨日から休んでうちにいたので,
「勇気を出していっておいで。みんな待ってるよ」
と言ってみた。息子は「でもー,ドキドキするー。」と言う。
「大丈夫だよ」と言っても「でもー」と言うので,
「もう11時だから,1時間くらいお勉強して,あとは給食を食べて帰ってくるだけだよー」と言っても, 「でもー,ふあんー」と言う。そして,なぜか給食の献立表を持って来た。
そして,今日の献立を指差して,
「ふあんー。さわらのてりやきってなぁにー?」と言う。
「サワラというのはお魚だよ。おうちでも食べたことがあるよ」と言うと,
「んー,でもー。ふあんー。にびたしってなぁにー?」と言う。
「お野菜を煮て,味付けしたものだよ」…って,そっちかい!結局,いいお天気だったせいか,息子はご機嫌で歌を歌いながら
妻と一緒に学校にいき,友達にも「〇〇くん,だいじょうぶー!?」
と迎えてもらったようだ。そしてゴキゲンで帰って来て,楽しかった!給食もおいしかった!
と言った。
5年生の時には青森県東通村との交流事業で,下北でホームステイをしてきたり,いろんな体験もできたよね。
ただ息子が4〜5年生の頃,僕が仕事で時間が取れず,息子と一緒にいる時間が少なくなった時期があったんです。
それが今でも少し心残り。
中学生・高校生の頃
息子は中学生から電車通学になりました。朝早くから混雑した電車に乗って登校です。
中高一貫校なので,それもあと半年。よくがんばっていると思います。
妻は,息子が幼い頃の写真を見て,「この頃は何をしても可愛かったなあ」なんて言います。僕が「僕は今でもそうだよ」というと,「えぇー。でも…まあそうねえ」なんて言って笑います。
息子が中学3年生の夏,北アルプスの白馬岳に一緒に登りました。3日間,一緒に山を歩けたのはうれしかったなあ。雪渓を越えていく息子を見て,「おおー,逞しくなったなあ」なんて思ったものです。小さい頃は公園のアスレチックで泣きが入ってたのにね。
これは僕にとって,生涯忘れ得ぬ登山になりました。息子にとってもそんな思い出になってくれるといいなあ。
次の年もまたいっしょに登ろうと話していたんですが,コロナ禍になってそれが実現できなかったのは残念。
でも,学校と僕の仕事がオンラインになって,うちでずっと2人で過ごした時期が半年くらいあったんですよね。お昼ご飯も毎日二人で食べて。これが実はけっこう楽しかった…って言ったら不謹慎かな (^ ^;)
子育てはまだまだ続きます
かくして息子も18歳。自分の意見を言えるようになったから,衝突することもたまにはあります。でもおおむね真っ直ぐ,心優しく育ってくれていると思います。親の贔屓目ですけどネ。
子育てはまだ続きます。昔みたいにべったりではいられないけど,父親として陰ながら息子をサポートしてやれたらと思っています(でも本当は,今でもハグしたいんだぞ!)。
そして来年の夏に,また一緒に山に行けたらいいなあ,なんていう希望もあります。
ところで,僕自身は高校を卒業した時,18歳で実家を出たんですよね。僕の両親にしてみたら,あっという間に息子が離れていった感じだったんだろうなあと思う,今日この頃です。
この記事は,ちゅうさん (id:photo-no-wa) の記事に触発されて書きました。こちらもぜひご覧ください。
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