
先日,紅葉狩りを兼ねて,信夫山にある「ねこ稲荷神社」を訪ねてきました。
信夫山の周辺には,かつて製糸工場がいくつかあったことがわかっており,養蚕・絹づくりとこの神社との関連を示すものがないかなあと気になっていたんですよね。
ねこ稲荷神社と養蚕に何の関係があるのかって?そんなお話をしたいと思います。また,ねこ稲荷周辺のお宮もいくつか訪ねてきたので紹介します。
日本の養蚕と絹づくり
日本の養蚕と絹造りの歴史を辿ると,いにしえの時代にまで遡ります。
古事記に「五穀の起源」という話があり,蚕は五穀と並ぶ神聖なものとして描かれているんです。
須佐之男命は食べ物を大気都比売神に求めた。そこで大気都比売神が鼻や口,尻から種々の食べ物を取り出して献上しようとしたところ,須佐之男命は食べ物を汚して差し出されたと思い,大気都比売神を殺してしまった。かくて,殺された神の体の頭から蚕,目から稲,耳から粟,鼻から小豆,陰部から麦,尻から大豆が生じた。
(古事記「五穀の起源」)
蚕は,私たちが生きていく糧となる五穀と同時に(それも頭から)生まれています。古い時代から,蚕は五穀と同等に神聖なものだったということですね。

大気都比売神(オオゲツヒメ)は食べ物の神様です。それにしてもスサノオ,ずいぶん乱暴な神様ですなあ…。
絹づくりと福島市の発展,そしてその遺構
日本では明治時代に蚕の品種改良が急速に進み,養蚕と絹造りは国の基幹産業となりました。この時代に日本は国力を高め,欧米列強と肩を並べる存在へと駆け上がっていくのですが,その発展を支えていたのは,小さな虫が吐き出す,一本の細い糸だったのです。

このころ福島県でも養蚕は盛んで(今でも川俣町はシルクの街として町おこしをしています),福島市は絹糸の集積地として発展しました。
市の中心部近くにある信夫山の麓には,製糸工場がいくつも立ち並んでいたようです。
その面影はそれほど色濃く残ってはいないのですが,唯一僕が見つけたのが,信夫山中腹にある「ねこ稲荷神社」です。
…なんでネコかって?
養蚕農家ではネズミが蚕の天敵で(蚕を食べちゃうのでね),これを追い払うために猫が飼われていることが多かったのです。「猫は蚕の守り神」ということですな。
そんなわけで養蚕が盛んだった地方には,ねこを祀った神社が残っていることが多いのです。

実はねこ稲荷神社は,以前信夫山を散歩していて偶然見つけたんですが,その時は養蚕との関わりを示すものをハッキリと見つけることができなかったんです。それでずっと気になっていたんですが,この間あらためて行ってきた次第 (^◡^)。
信夫山ねこ稲荷神社へ
時は晩秋。名残の紅葉を愛でながら,信夫山の山道を登っていきます。
信夫山は福島市街地の真ん中に,ぽっかりと浮かんだ島のようにあります。二百数十mのいくつかの峰からできていて,古くから山岳信仰の対象になってきました。
信夫山とは | 福島市 信夫山情報サイト|特定非営利活動法人ストリートふくしま
ねこ稲荷神社は,そのひとつ,羽黒山の中腹まで登っていくとあります。見ての通り,こぢんまりとした可愛らしい神社です。

鳥居をくぐって境内に入っていくと,こんな看板がありました。…これは確か以前来た時にはなかったよな?
信夫山ねこ稲荷(西坂稲荷)の伝説
昔々,信夫山の三狐といわれたのが,人を化かすことが大好きな信夫山の御坊狐と,頭のいい一盃森の長次郎と,ずる賢い石が森の鴨左衛門だ。なかでも御坊狐は,この場所に古巣があって木の葉の小判で,魚屋をだましたり,馬方にまぐそを食わせたりと,ちょっとユーモラスな悪戯伝説がたくさん残っている。ある日鴨左衛門に騙され,大事な尻尾と神通力を失った御坊狐は御山の御坊に諭され,すっかり改心して,蚕を食い荒らすネズミを退治する養蚕の守り神となった。感謝した部落の人たちは,今でも「ねこ稲荷」として大切にお祀りしている。
うん,なんとなく分かった。キツネってことで「稲荷神社」である理由も分かったけど,何故かキツネが唐突にねこになってるんだな。

ということで,やっぱりこの神社は場所柄 豊蚕を祈る場所であったということなんだね。
とはいえ時代は流れ,絹がナイロンに駆逐されて,養蚕が衰退した現在。ここは愛猫の幸せをお祈りする場所になっています。境内にあるのは「うちのじまん猫・思い出の猫たち」の写真が貼られたボード。

それでも拝殿には,往時を偲ばせるものが残っています。
ねこの絵馬。各地の養蚕を守る神社には猫が描かれた絵馬が数多く残っていますが,これもそんな一種なのでしょう。比較的新しいものに見えますが,味わい深いです。

あらためてこちらが拝殿。こぢんまりしていますが,きれいに手入れされています。この神社を所有してきた西坂家の人たちが手入れしているのかな?(近くに「古民家西坂家」というカフェもあります)

拝殿から振り返ると,小さな鳥居がたくさん立ち並んでいます。これは確かに「お稲荷さん」ですねえ。

拝殿の中には可愛らしい猫がいっぱい。下の方には古い時代のものと思われるねこの絵馬もあります。きっと養蚕が盛んだった頃,豊蚕を願って奉納されたものなのでしょう。大変興味深いです。

「お稲荷さん」ですからね。右の方には猫とキツネがいっしょになって祀られています。味がありますねえ。

その後絹づくりが盛んだった時代が終わると,福島は養蚕から果物づくりへと舵を切りました。
そんな時代の変化に伴って,この神社が愛猫の守り神へ変わったのは,なんだか愛おしく感じます。古い時代の名残を微かに感じることができることもね。
羽黒神社の大わらじ
ねこ稲荷神社からさらに上に登っていくと,羽黒山の頂上に達します。ここに羽黒神社が建っています。信夫山信仰の中心の一つですからね,行ってきましょう。

羽黒神社へ向かう道は岩がゴツゴツしていて,まるで南アルプスの登山道のようです。これは油断したら,転んで「言わんこっちゃない」となるぞ,岩だけに…いや,なんでもない。

途中に苔むした石段もあって,その上に落ち葉が積もっています。落ち葉を踏みしめながら歩くと,晩秋の空気が感じられてヨシ!

羽黒神社に到着すると,まず目に飛び込んでくるのが,この大わらじ。長さは 12 m もあるそうです。
このわらじは毎年2月の「暁まいり」の時にこの神社に奉納されます。この祭事は福島の夏を盛り上げる「わらじまつり」のルーツになったとも言われ,夏祭りの大わらじと合わせて一足です。それは羽黒神社の仁王様のためのわらじになるんだとか。
健脚,そして健康,長生きを山に祈ったんでしょうかね。

神社の境内には「山神」の石碑もあって,古い時代の山岳信仰を偲ぶことができました。

それでは僕も健康をお祈りして(インフルエンザが流行ってるけど罹患しませんように!),山を下っていきますよ。
六供集落の小宮
羽黒神社からねこ稲荷を経由して,山麓へ下る道沿いには,民家が点在しています。ここは「六供 (ろっく) 集落」と呼ばれているようです。
そしてこの集落には小さなお宮がいくつかあって,これらは集落のお家の持ち宮のようです(ねこ稲荷もその一つ)。
山道を歩きながら小宮を見て回るのもなかなか楽しい。

これ↑は正八幡宮。六供筆頭渡辺家の持ち宮。南無八幡大菩薩で知られる戦いの神を祀っており,現在は試験,就職祈願にご利益があるんだとか。

続いて三宝荒神。荒神とは火の神で,強い験力を持つ,火除け・厄除けの神とされています。六供三宝院加藤家の持宮です。

次は六供一ノ宮院西坂家の持宮「一ノ宮明神」。西坂家はねこ稲荷のお家もあります。江戸期の建築で,五穀豊穣、商売繁盛、家内安全のご利益があるとされています。

小さな菅谷不動がいっしょに祀られていて雰囲気があるのが,牛頭天王宮。六供祇園院小野家の持宮です。一間社流造、三方切目縁、鉄板葺の社殿で,これも江戸期の建築だそうです。脇には小規模な金毘羅宮も祀られています。
京都の八坂神社とつながりがあるといい、病気を祓うご利益があるんだとか。

羽黒神社への大鳥居の近くに建っているのは天神宮。天神様は学問の神であり,農耕神でもあります。このあたりの小宮では珍しく,灯篭や鳥居を含めて,すべて石造りになっています。
信夫山の道は,こんな風にいろんな小宮があって興味深いです。都市の中心部に,こんなに信仰の色が濃く残っているところは珍しいのではないでしょうか。
晩秋の山道
晩秋の信夫山,紅葉以外にもきれいな風景があります。こちら枯れたあじさい。

アジサイって枯れたあとも形を残して,味わい深いですよね。僕もこうありたいものです…なんつって。
コスモスは風にそよぐところがいい。

コンクリートの壁にも,紅葉した蔦が絡んでいて,味わいがあります。秋の信夫山散歩,楽しいですよ。

ところでずっと信夫「山」と書いてきましたが,この山ができた過程には興味深いものがあります。
昔この場所は海底でしたが,1000万年ほど前に奥羽山脈とともにここも隆起しました。このため信夫山にはその名残の化石が見出されています。そして50万年前,今度は逆に福島盆地が沈降したのですが,ここだけ地盤が硬いために山として残った場所のようです。
都市の真ん中にある山には,こんな出生の秘密があったんですね。
おわりに
ずっと気になっていた信夫山のねこ稲荷,やっぱり養蚕と深い繋がりがあったんですね。この辺りに往時の面影を忍ぶものが他にないか,また探しながら歩いてみようと思います。

吾妻連峰が冠雪して,福島にも初雪が降りました。…というか気が付けばもう12月に入っていました。冬ですねえ。
付け足し…信夫山にクマさん
この間,信夫山近くにクマさんが出たというニュースが流れてきました。洒落にならないよ,クマったクマった。
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