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もうロシアに行くことはないだろうから,モスクワの写真を何枚かあげてみる

はじめに

この記事では,以前モスクワに行った時の写真を何枚か出します。でも,これはロシアの観光案内ではありません。昨今の情勢を受けて,もうロシアに行くことはないだろうから (そして多くの人にとっても遠い場所になるだろうから),モスクワに行った時の写真を何枚か出して,「こういうところだったよ」という記録です。

モスクワへは仕事で行きました。

モスクワに行ったのは,もう10年以上前のことです。仕事で1週間滞在しました。泊まったのは「ホテル・スプートニク」。ホテルの前には,ボストーク1号に乗って初めて宇宙に行ったガガーリン少佐の像が立っています。

ホテル・スプートニク

ホテル・スプートニク

ロシアはバウチャー制で,どの街を訪問し,どこに泊まるかを前もって大使館に申請した上でビザを取得する必要があります。

だから渡航後,自由にいろんな街を訪問することはできませんが,ホテルの周りを散歩するくらいならOKです。

街角にはこんな看板。キリル文字は最初全然読めなかったけど,1週間くらいするとなんとなく読めるようになってきたのを覚えています(もう忘れちゃいましたが)。

看板

街角の看板

こういう「宣伝」の看板は,ソ連時代にはなかったんだろうなあと思ったりもしました。

また歩いてみると,モスクワの街は交差点から交差点までの1ブロックがやたらと大きく,ソ連時代の計画経済に従って作られた街なんだなということがよくわかりました。

モスクワを歩く

ホテルから15分ほど歩いたところにあるのはロシア科学アカデミー。

ロシア科学アカデミー

ロシア科学アカデミー

仕事先でロシアの年輩の人に「ソ連時代と比べてどうですか?」と聞くと「hope と freedom があるから今の方がいい」との答え。今思えばずいぶんと不躾な質問をしてしまったものです。

その freedom が,いま私たちが考える freedom と同じものだったのか考えてしまいますが,ともかくそういう答えでした。

また仕事先では食事も提供されていたんですが,ボルシチ風のスープが特に美味しかったです。ボルシチって元々ウクライナの料理なんですね。東京にもウクライナ料理のお店が何軒かあるようだから,行ってみようかな。

ogugourmet.com

少し足を伸ばしてテクテク歩いていくと,モスクワ大学。なんだかすごい建物です。

モスクワ大学

モスクワ大学

ところでさっきから街が煙っているように見えますが,これはたまたま僕が訪問した時に,近くで山火事があった影響と聞きました。普段のモスクワはもっと澄んだ空気の街なのか,ちょっとわかりませんが。

クレムリンと赤の広場と聖ワシリー大聖堂

クレムリンと赤の広場

仕事の合間にクレムリンを訪ねました。赤い城壁で囲まれた,旧ロシア帝国の宮殿であり,現在もロシア大統領府のあるところ。

クレムリンの城壁が作られたのは12世紀のことらしいので,随分古い歴史を持つ場所ではあります。

クレムリンと赤の広場

クレムリン内部は一部公開されていて,冷蔵保存されたレーニンの遺体をみることができます(当然のことながら写真なし)。感想は「教科書で見た顔と同じだ」でした。

また宝物庫も公開されているのですが,たまたま僕が行った日は休館日で,「明日来い」と言われてしまいました。翌日はロシアを離れる日だったので結局見ることができませんでしたが。

クレムリンでは「冷戦時代は,ここがニューヨークと並ぶ,もう一つの世界の中心だったのか…」と厳粛な思いを抱きました。そして今,「壁ひとつ隔てた向こうにはあの大統領がいたのか」と思うと,いろいろ考えてしまいます。

赤の広場

赤の広場

クレムリンの前に広がるのが赤の広場。「赤の…」という名前からも,「鉄のカーテンの向こうだった場所に,今来ているんだなあ」という感慨を持ったものです。

この時は観光客が行き交っていましたが,「パスポートを持参していないと怖いことになる」という情報を得ていたので,ちゃんと持って行きました。すると本当に武装警官に「パスポートを見せろ」と呼び止められました。セーフ。

聖ワシリー大聖堂

赤の広場の端には,聖ワシリー大聖堂があります。ロシア正教会の代表的な建築物。

聖ワシリー大聖堂

聖ワシリー大聖堂

向こう側に見えている建物に「POCCИЯ」と書かれていますが,これは「ロシヤー (ロシア) 」と読みます。

大聖堂の中にも入ってみました。イコンで飾られた内部は,確かにカトリックの教会とは違っていて,少し東洋的な雰囲気も感じました。

聖和しリー大聖堂の中

聖ワシリー大聖堂の中

 

モスクワ川から市街地を見る

モスクワ川のクルーズ船からクレムリンを眺めてみると,城壁の様子がよくわかります。城壁に囲まれて,クレムリン大宮殿やアルハンゲリスキー大聖堂も見えます。

モスクワ川からクレムリン城壁

モスクワ川からクレムリン城壁

川面から見上げる聖ハリストス大聖堂。この建物は1883年に建立されましたが,ソ連時代に,宗教弾圧政策をとる政府によって爆破解体されました。現在の建物はソ連崩壊後に再建されたものです。

聖ハリストス大聖堂

聖ハリストス大聖堂

聖クレメント教会とコローメンスコエ

聖クレメント教会

モスクワ市内/郊外で行ってみたところをいくつか。

聖クレメント教会。この時は教会の庭がビアガーデンになっていて賑わっていたのですが,今はどうなっているのでしょうか。

聖クレメント教会

聖クレメント教会

この教会に行くときにモスクワ地下鉄にも乗りました。社会主義的な装飾が施された地下要塞のような作りは,日本の地下鉄とは全く異なる雰囲気でした。写真は撮れませんが。

コローメンスコエ

また仕事先の人に連れられて,モスクワ郊外のコローメンスコエも訪ねました。ここは14世紀以降,歴代モスクワ大公によって宮殿が建設された歴史的な場所のようです。

宮殿の正門であるペレードヌイェ門は青い屋根が印象的でした。

ペレードヌイェ門

ペレードヌイェ門

コローメンスコエの教会で最も古いものが「主の昇天教会」。16世紀のもので,ロシア正教会の聖堂の最初期のものだそうです。

尖塔型の教会

コローメンスコエの尖塔型の教会

その後ロシアの教会は,玉ねぎのような形の屋根が特徴となっていきます。尖塔のようなコローメンスコエの教会は,のちの時代のものとは一線を画しています。

モスクワ市街地を望む

ホテルに戻って,部屋から望んだモスクワ市街地。一つ一つの建物が大きい(つまり町の1ブロックが大きい)ことがよくわかります。

モスクワ市街地

ホテルからモスクワ市街地

右端に写っているのはルジキニ・スタジアム。1980年モスクワオリンピックおよび2018年FIFAワールドカップのメイン会場として使われたものです。

おわりに

おそらく,僕はもうロシアに行くことはないでしょう。少しだけ安定していた時期に,モスクワがどんな場所なのか見ることができたのは幸運だったのかもしれません。

クレムリンと聖ワシリー大聖堂

クレムリンと聖ワシリー大聖堂

モスクワの印象を一言でいうと,社会主義的体制下で計画的に作られた街とロシア正教会の遺構とが入り混じった都市という印象でした。そしてその中心にクレムリンがあると。

今,当時の写真を見返しながらいろいろな思いが胸をよぎりますが,ここではできるだけ感情を抑えた文章になるように書いたつもりです。

ツンドラ

シベリア上空

仕事を終えた後はフィンエアーでヘルシンキに移動し,そこで2日過ごしてから帰国となりました。フィンランドの写真も少しだけあるので,気が向いたらアップしようかと思います。古いコンデジで撮った写真だから,あまりきれいではないんですけどね。