福島市の中心部からほど近く,信夫山の一角に「岩谷観音」と呼ばれるところがあります。岩肌に約60体の磨崖仏が刻まれたところです。一説には,この磨崖仏は平安時代後期から彫られ始めたものだとか。
古い時代から風雪に耐えてきた磨崖仏。これは興味津々です。行ってみましょう。
岩谷観音へ
岩谷観音へは,福島駅東口からバスに乗って約15分,「岩谷下」で下車します。バスを降りると左手に信夫山のこんもりした姿が見えるので,そっちに向かって歩いていくと,すぐに急な石段が現れます。ここが岩谷観音の入り口です。
季節は晩秋の頃,石段には落ち葉が積もっています。とても急で長い階段なので,転げ落ちないように注意 (^ ^;)
階段を登りきると,岩棚に小さなお堂が建てられています。紅葉は終わりかけですが,色づいた木々に囲まれてきれいです。
お堂の横には,この地の歴史が書かれた看板がありました。
岩屋観音
古くから「岩屋観音」の名で親しまれてきたこの地は民衆の素朴な霊場です。
それは平安末期から鎌倉期にかけて五十辺の「館」に居館をかまえてきた豪族,伊賀良目氏が持仏の聖観音を安置した「窟観音」に始まるものと思われますが,遠い都の貴族たちの三十三観音巡拝の風が地方の民衆にまで普及するにつれて,西国三十三観音の磨崖仏が彫られ,現在の「岩屋観音」が形成されました。その時期は宝永六〜七年(1709〜10)前後と思われます。
ともあれ,市内唯一の磨崖仏であり,かつ三十三観音のほか六十体にもおよぶ供養仏が群像をなしている偉観は他に類例が少く,そのできばえも素直で美しく,民衆の信仰の敬虔なこころをよく伝えています。
古い時代,この観音様を彫った人は,どんな思いでのみをふるったのでしょうか。
たくさんの磨崖仏に目が釘付け
さて,そのお堂から目の前の岩肌に目を移すと,たくさんの磨崖仏が!思わず目を奪われてしまいます。
大きな仏さま,小さな仏さま,風化が進んだもの,比較的形がはっきりしているもの,様々です。数を数えてみましたが,途中でどこまで数えたかわからなくなってしまいました(笑)。
まわりも歩いてみます
磨崖仏のところから,さらに山の方へ細い道が続いています。少し登ってみましょう。
落ち葉の道を辿っていくと,鐘撞堂があり,さらに登ると磨崖仏の真上に当たる位置に,「古峰神社」と書かれた碑が立っていました。
この地の人々にとって,この急な山の斜面が古くから信仰の対象であったことが伺えます。 身近で小さな山岳信仰という感じだったのでしょうか。
もう一度磨崖仏を眺める
あたりを散策したら,もう一度磨崖仏のところへ戻ってみます。六十余体あるという磨崖仏は見飽きることがなく,いつまでも目が釘付けになってしまいます。
お堂の横で一人観音さまを眺めていると,雪がちらついてきました。この日は今年初めて福島市内で雪が降ったようです。でもまだ鮮やかな紅葉をつけた木もあります。
そして足元には落ち葉。秋から冬へ移り変わる季節,再び急な階段を下って街に戻りました。
福島市岩屋観音。とても興味深いところでした。
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(この本によると,南相馬市にも磨崖仏があるようですね)