すっかり秋ですね。ひんやりした空気に包まれて紅葉を眺めたいです。
そこで訪ねたのは福島市の文知摺観音普門院。ここは一昨年も行ったのですが,とても良かったのでぜひまた行ってみたいと思っていました。
紅葉に包まれたお寺はやはりきれいで,とても癒されました。
文知摺観音について
福島駅に降り立つと,小高い信夫山が間近に見えます。その東側には阿武隈川の流れ。文知摺観音(もちずりかんのん)は,阿武隈川を挟んで信夫山の向かい側にあります。
福島市街地から数km「文知摺橋」を渡って東に2 kmくらい。公共交通なら福島駅東口からバスで「大波経由・掛田行き」に乗って「文知摺」下車です。
文知摺観音境内を歩く
文知摺観音に着くと,鐘つき堂が紅葉に囲まれてきれいです。
ここから境内に入っていきます。ひんやりした空気,静けさの漂う境内へと続く道には,色づいたカエデの木々が見事です。
石で作られた手水にももみじの葉っぱが沈んでいて,秋だなあ。なお年譜によると,この石手水は1809年に奉納されたものだそうです。今から200年以上前!長い歴史を持つものなんですねえ。
いったん境内を奥の方まで歩いて,ぐるっと回って多宝塔のところに来ました。文知摺観音の多宝塔は文化9年(1812年)建立で福島県の指定重要文化財に指定されているとのことです。また東北地方で唯一の多宝塔建築だとか。
かっこいい建物です!
もちずり絹と文知摺石の物語
かつてこの地はしのぶ草の葉形を摺りこんだ風雅な模様の「もちずり絹」の産地だったようです。養蚕と絹作りが盛んだった福島ならではの,素敵な物語が紡がれてきた場所なんですね。
その名残を伝える文知摺石は都から派遣された按察使・源融(みなもとのとおる)と山口長者の娘・虎女の悲恋物語をうみ,小倉百人一首にも詠まれています。
みちのくの 忍もちずり 誰故に
乱れ染めにし 我ならなくに(古今和歌集(百人一首十四番)・源融)
(みちのくで織られる「しのぶもちずり」の摺衣のように,乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。私のせいではないのに…あなたのせいですよ)
「しのぶずり(忍摺・信夫摺)」は「しのぶ草」を使って織物の模様を摺り出す方法のひとつ。また,その摺り模様の衣のことだそうです。しのぶ草の葉・茎を布に摺りつけて、捩(もじ)れたような模様をつけたものだと。
「しのぶもちずり」は千々に乱れた恋心,また「しのぶ」は人目を忍ぶひそやかな恋の枕詞になっているんですね。
そしてそんな美しい由来が,福島市の地名「信夫」にもつながっているんですね(朝ドラ「エール」の主人公・裕一が通っていたのも「信夫小学校でしたね)。うーん,素敵すぎです!
1629年,沢庵和尚も福島でこんな歌を残しているようです。
みだるなと ひとをいさむも おりからに
我が心より しのぶもちずり
「心乱すな」と人を諌めようとしても,そんな自分の心もしのぶずりの模様のように千々に乱れているではないか…そんな意味でしょうか。
その後,この地を訪れた松尾芭蕉も「奥の細道」にこんな句を残しています。
早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺
(早苗をとる早乙女の手元を眺めていると,かつて行われていたしのぶもちずりの手つきが偲ばれる)
芭蕉像の横には句碑も建てられていました。同じ句碑が,福島駅近くにもあるようです。
さらに時代は下って1893年,正岡子規もこの地を訪れ,句を詠んでいます。
涼しさの 昔を語れ しのぶずり
境内の正岡子規句碑からは,福島の街なみを美しく望むことができました。
観音堂と水月庵
さて,それでは本堂にあたる「観音堂」のところに行きましょう。小さなお堂ですが,杉木立ちと色づいたカエデに囲まれて,いい雰囲気です。
お堂の前に赤い葉っぱがたくさん落ちていて,まるで地面が赤く染まっているようでした。しばし見入っちゃいました。
続いて水月庵へ。ここは休憩所…でいいのかな?中には誰もおらず,静かな室内から窓の外のもみじを独り占めです。ムード満点。こういうのは額縁構図っていうんだっけ。
水月庵を出て,普門院入口の方へ向かうと,紅葉の向こうに吾妻連峰。ほぅーっと息をつきたくなるような,開放感のある眺めです。その「ほぅーっ」の息が白くなる,ひんやりとした空気がまた気持ちいい。山をよく見ると,もう冠雪しているようですね。
さて最後に鐘つき堂のもみじを一枚写真に撮って,お寺を後にしましょうか。
おわりに
歌枕の地,文知摺観音は歴史とロマンに満ちた素敵なお寺です。この季節の涼しい空気もとても気持ちがいいし,静かな境内は昔を偲ぶのにぴったりです。
百人一首に歌われた「しのぶもちずり 誰故に」の歌を口ずさみながら歩くと,紅葉の境内をより一層素敵に味わうことができますね。
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