南アルプスがユネスコエコパークに登録されてから,今年で10周年となります。
前記事で書いた「南アルプスデジタル写真・動画コンクール」の表彰式の日には,同じ会場で記念のシンポジウムも行われました。
南アルプスユネスコエコパークのホームページはこちらです。南アルプスの自然を保全していくだけでなく,その周辺の文化,人々の暮らしをサステイナブルな方法論で未来に繋げる取り組みです。
シンポジウムでは,エコパークの考え方と,どんな取り組みが行われているかが取り上げられ,興味深い発表がありました。
ユネスコエコパークとは?
ユネスコエコパークは,生態系の保全と持続可能な利活用の調和=自然と人間社会の共生を目的として,ユネスコが1976年に開始したものです。
これは地域の豊かな生態系や生物多様性を保全すると共に、文化的にも経済・社会的にも持続可能な発展を目指す取り組みです。
「自然保護」だけではなくて,その周りの人々の暮らしを含めて持続させていこうという取り組みであることが「世界自然遺産」などと違うところですね。
世界自然遺産が顕著な普遍的価値を有する自然を厳格に保護することを主目的とするのに対し,ユネスコエコパークは自然保護と地域の人々の生活(人間の干渉を含む生態系の保全と経済社会活動)とが両立した持続的な発展を目指しています
(文部科学省 webサイトから)
世界自然遺産はどちらかというと「上位下達」でその地域の環境を国が管理する場合が多いのに対して,エコパークは地元の創意工夫で自然資源を守るボトムアップの構造を持つのが特徴。
実際に「世界遺産」の写真には人や動物が写っていないものが多いけど,「エコパーク」の写真は,その土地に暮らす人の顔が写っているものが多いとのことです。
エコパークは「核心地域」,「緩衝地域」そして「移行地域」の3レイヤーからなっています。
核心地域は多くの動植物の生育が可能であり,法的にも厳しく保護され,長期的に保全されている地域。このエコパークでは,南アルプスの主稜線がこれにあたります。
緩衝地域は核心地域に隣接する地域です。ユネスコエコパークのための実験的研究にとどまらず,教育や研修,エコツーリズムなど,自然の保全・持続可能な利活用への理解の促進、将来の担い手の育成等が行われます。
移行地域は人々が居住し生活を営んでおり,自然環境の保全と調和した持続可能な地域社会・文化の発展のモデルとなる取組が行われています。この地域の存在が「エコパーク」の特徴でしょうか。
なお「ユネスコエコパーク」という名前は,国内で親しみをもってもらうためにつけられた通称で,海外では「Biosphere Reserves(生物圏保存地域)」と呼ばれています。
国内では南アルプスの他に,白山,みなかみ,志賀高原,只見など十ヶ所が指定されています。
南アルプスユネスコエコパークは,今年で登録10周年です
南アルプスユネスコエコパークは,南は光岳〜北は甲斐駒ヶ岳に至る赤石山脈の主稜線を核心地域として,この山脈を囲む山梨県北杜市,韮崎市,南アルプス市,早川町,長野県富士見町,伊那市,大鹿村,飯田市,そして静岡県静岡市,川根本町の山間部とその周辺で形成されています。
これらの地域は3000 m級の山々に囲まれ,固有の動植物が生息する,注目すべき自然環境を有しています。また古来より固有の文化圏が形成され,特徴ある習慣や食文化,民俗芸能が継承されてきました。
従来これらの地域は南アルプスの山々によって交流が阻まれてきましたが,「高い山と深い谷が育む生物と文化の多様性」という理念のもとに南アルプスユネスコエコパークとして結束。南アルプスの自然環境と文化を共有の財産として位置付けるとともに,これを永続的に保全し持続可能な利活用に取り組むことで,自然の恩恵を生かした魅力ある地域づくりを目指す活動を始めました。
ここがユネスコエコパークに指定されたのは,2014年のことです。
ユネスコエコパーク10周年記念シンポジウム
会場の静岡グランシップでは,南アルプスフォトコンテストの表彰式を挟んで,午前と午後に南アルプスエコパーク10周年記念シンポジウムが行われました。
興味ある話を聞くことができましたよ。
エコパークとしての活動…岡山県西粟倉村,鹿児島県姶良市の活動をモデルケースに
午前のセッションでは,「エコパークとは」という話に加えて,地域おこしのモデルケースとして岡山県西粟倉村,鹿児島県姶良市の取り組みが紹介されました。
岡山県西粟倉村の取り組み
西粟倉村には,オオサンショウウオが生息しています。山がちの土地に田んぼが連なるこの地域では,田畑の造成に伴って水路が分断され,オオサンショウウオが水路を遡れなくなっていました。
演者のMさんは田んぼを繋ぐようにしてオオサンショウウオが通れる魚道を設置したそうです。
その取り組みの中で意識したことは…。
どこの自治体でも,役場は住民の苦情などへの対応が仕事の中心になりがちで疲弊していることが多い。言ってみれば,「ディフェンダーとゴールキーパーしかいないチームで試合をしているような状態」になっていると。
そこで前向きなことを取り入れて,人が集まるように意識したそうです。
鹿児島県姶良市の取り組み
姶良市では,2007年に廃校となった新留小学校を復活させようという活動が進められています。鹿児島に限らず,少子化で廃校となった小学校は全国に数多いですよね。
学校には,ハブとして地域を繋げる役割がありました。例えば運動会には地域の人たち(おじいちゃんおばあちゃん)が集まり,そこが地域の交流の場になっていました。学校は「コモンズ」として,個人の力だけでは維持できない,地域の活動を次世代に繋ぐ役割も担っていたわけです。
そこで仕掛け人のFさんは,新留小学校(まだ再開していません)の「第0回運動会」を開催。地域の人たちが綱引きをして遊び,旧新留小学校の卒業生が校歌を一緒に歌ったそうです。
学校があると地域の人たちのつながりができるから,すぐに人を集められる。それで田畑の力仕事に人を動員できることもあるというお話でした。
またFさんは鹿児島市の中心街,天文館に保育園を設立。当時その通りは,半分の店のシャッターが閉まっていたそうです。
けれども定員60人の保育園を作ると,その商店街を60組の親御さんが1日に2往復する。そして買い物をする。程なく商店街のシャッターが開いたとのことです。
保育園では1日に食事を100食くらい提供するから,地域の肉屋さん八百屋さんが食材を卸して潤う。さらに「保育園に食材を提供している店だから安心」という口コミが広がり,町が再生していったそうです。
全国には,すごく活動的で,かつ魅力的な人がいるんだなあと感嘆しました。
講演後のパネルディスカッションでは「地域の活性化のために,他にはどんな方法があるでしょうか?」という質問が出ました。それに対して「地域でFM放送を方言でやってはどうか?」という提案もありました。面白そうですね!旅行した時に,旅先で方言の放送を聴くのも楽しそうです。
静岡市井川地区––人々の暮らしと伝統を後世に
井川湖と井川地区
シンポジウムの午後のセッションで取り上げられたのが,井川地区です。
井川地区は静岡市街地から峠を越えて,南アルプス山麓の畑薙方面へ向かう途中にあります。
大井川を堰き止めてできた井川湖に面した集落で,現在は370世帯ほどが暮らしているそうです。
この地域では,大井川鐵道が有名ですね。これは井川ダム建設の際に資材運搬のために施設された鉄道で,その後陸運に使われるようになったものです。
大井川鐵道で特に注目を集めているのが奥大井湖上駅。井川湖に半島状に突き出た場所に立つ,文字通りの湖上駅です。
僕も南アルプス縦走で畑薙に向かう途中,井川湖のほとりを通りました。静岡から山で隔てられた秘境という印象が残っています。
井川地区の在来作物
そんな井川地区では,古来より特有の農作物が栽培されてきました。
現在,井川地区の伝統的な農耕の研究と資料の保存が進められています。
井川地区では従来からのお茶に加えて,この地方特産のジャガイモである井川おらんどなどが栽培されてきました。
質疑でも話が出たんですが,おらんどは他の地方ではなかなかうまく育たず,この地方の気候がこの作物に合っているのではないかということです。
他にもこの地方固有の蕎麦や粟,らっきょう,赤石豆など,独特の作物とこれに基づいた食文化が生み出されてきました。
南アルプスの清冽な水と空気で育った作物をこの地で食べたら,きっと滋味溢れる味わいがすることでしょう。
シンポジウムではこれらの作物の栽培を未来へ伝えていこうという取り組みや,その栽培に古くから使われてきた民具の紹介など興味深い話がありました。
またその栽培方法と関連して,かつてこの地で行われていた焼畑に関する話もありました。化学を専門とする自分としては,ちょっと考えるところもありましたが…*1。
- - - -
*1 化学史上最も重要な発見はハーバー・ボッシュ法と言われています。これは空気中の窒素からアンモニア…すなわち窒素肥料を作り出す反応です。このプロセスが開発されたことにより,人類は飢餓や肥料をめぐる紛争から逃れることができたと言われています。農耕と化学は切っても切れない関係にあるのです。
おわりに
「ユネスコエコパーク」の取り組みについて知らないことが多かったので,たいへん興味深く,また勉強になりました。
身近なところでは丹波山村の全域が甲武信エコパークに属しているので,この辺りのお話をいろんな方に伺ってみたいと思います。

こちらも見てね