昨年12月,画家の玉川麻衣さんの個展「暁の瞳 謐の声」が開催されました。
玉川さんはかつて日本の野山を駆けていた狼や現世と異界の間をたゆたうものたちを,とても繊細なタッチのペン画で表現されています。
僕がお邪魔したのはクリスマスイブの夜。個展は六本木で開催されていたので,華やかな街を抜けてギャラリーを訪ねることになりました。
この日は玉川さんと丹波山村のTさんとのトークイベントも開催され,玉川さんと狼との関わり,丹波山村や七ツ石神社との関わりについてもお聞きすることができました。
(なお個展のことをブログに書くこと,写真を載せることは,玉川さんご本人から許可をいただいています)
玉川さんの狼絵
玉川さんの描く狼絵に魅せられて,これまでも個展に足を運んできました。玉川さんの絵を見ると,自分が森の中にいて狼の息遣いを間近で聞いているような気持ちになります。そして自分の上には星がまたたきはじめるのです。
「謐の声」…タイトルの通り,狼の声が響くと周りがいっそう静謐な空気で包まれるように感じます。
玉川さんは狼の絵を描く時,「青」に思い入れを持って描いていらっしゃるそうです。それは山の夜の底であり,月明かり差しこむ森の影の色。あとで触れる,丹波山村の Wolfship Design でも語られている"狼色"の一つ。
この絵「月の路3」でも,狼が月影に溶けて,透明な存在になっているのが描かれています。
狼はもういないけど,でも確かにそこにいる。透明な存在になって,夜の森を駆けている。
そんな玉川さんの狼絵と切り離すことができないのが,山梨県丹波山村です。
丹波山村と七ツ石神社のお犬様
丹波山村は山梨県の北東の端にあります。奥多摩町からダム湖に沿って,さらに奥に入ったところ。
丹波山村には奥多摩山塊の七ツ石山および雲取山,そして飛龍山への登山口があります。
七ツ石山は,奥多摩山塊の最高峰(そして東京都の最高峰でもある)雲取山から伸びる「石尾根」上にある山で,標高1757 m。富士山や南アルプスを望む眺めも素晴らしいのですが,この山で注目すべきは,頂上近くにある七ツ石神社です。
この神社のお犬様(狛犬)は,素朴な狼像。お犬様は山神の使いとしてこの地域一帯を守ってきました。
この神社は長い間風雪にさらされて,朽ちかけていました。お犬像も風雨に崩れかけていたのです。特に阿形は損傷が激しく,原形をとどめていないほどでした。
玉川さんが描いた,傷んだ七ツ石神社。夜の底に佇む神社で,吽形の狼が崩れた阿形を見つめています。物悲しい雰囲気ですが,この絵はこれから始まる再生の物語の序章でもあります。
ほのかに青く光る吽形と阿形。これは彼らが再生の力を宿し始めていることを暗示しているのでしょうか。
七ツ石神社を再建し,同時にいたんだ狼像を修復しようというプロジェクトが立ち上がったのは2017年頃のことです。村の文化財担当のTさん(ご本人がSNSでお名前を出してらっしゃらないので,ここでもイニシャルで)がこのプロジェクトの中心となり,神社の再建が進められました。同時に2体のお犬様も下山されて修復されました。
2019年秋,七ツ石神社は再建され,七ツ石山でその新しい歴史を刻み始めました。修復されたお犬様も,新しい社殿で地域を見守っています。
神社の再建を機に狼は丹波山村の象徴として定着し,この場所の文化発信のシンボルとなりました。
玉川さんとTさんと丹波山村
玉川さんが狼の絵を精力的に描かれるようになったのは,Tさんとの出会いがきっかけだったとのことです。
Tさんは七ツ石神社の再建を契機に丹波山の文化を発信し続け,玉川さんは素晴らしい狼の絵を生み出し続けてこられました。またそのおかげで私たちはこの地域の信仰・文化と,狼宿る七ツ石山という魅惑の世界を知ることができました。
この日行われたTさんと玉川さんのトークイベントでは,七ツ石神社再建の道のりや狼に対する玉川さんの思いなどが語られました。それはとても興味深く,引き込まれるものでした。
Tさんが七ツ石山で,阿形の狼像の眼を見つけた話は感動的です。損傷が激しく,眼も無くなっていた阿形。ところが神社の再建に先立ってTさんが七ツ石山に登り,神社の周りを見ていたところ阿形の眼が見つかったと。
4年前の昨日は、七ツ石の狼像(狛犬)阿行の目が見つかった日でした。
— 丹波山村文化財担当 (@tabayama_1) January 13, 2022
砕けたまま数十年。久方ぶりに誰かと目を合わせた瞬間。
今でも心が熱くなります。 pic.twitter.com/PrSHOOvd7u
阿形の眼を見つけたのがTさんだったことは,本当に良かったと思います。阿形はTさんによって見つけられるのを待っていたのかな,とも思ってしまうのです(僕自身は普段あまりこういうもの言いはしないのですが)。
玉川さんは言います。「狼は絶滅してしまったけど、現生のいろんなしがらみを脱ぎ捨てて、自由に山を駆けていて欲しい」。
そうですね。山肌を,尾根を,天翔けるように走っていてほしいですね。
僕はこの「日なたの山道」の絵がとても好きです。七ツ石山へ向かう山道の,あの辺り。光さす山道のポカポカした空気が感じられるようです。
この絵には,明るい山道と同系色で,狼が描かれています。彼らが,今は透明な存在となったことが表現されているのでしょうか。
「七ツ石山への道を歩いているとき、ふっと違う風を感じる瞬間があるかもしれません。そんな時は,『いま狼とすれ違った』と思ってください」と玉川さん。
また絵の右下の方には,丹波山の小袖集落も描かれています。七ツ石神社への信仰をずっと温め続けてきたところ。
七ツ石神社の再建にあたって,小袖集落に足繁く通ったTさんはこう言います「文化や土地の信仰は温かく、それでいてもろいものだけど、それがなくなってしまうのは必ずしも悲しいことだとは思わない。でもそれを引き継いでいけたのはうれしい」
再建を進めたTさんならではの,重みがある言葉だと思いました。
Wolfship Design 作の狼絵本を予約しました
七ツ石神社の再建をきっかに,丹波山村では狼がそのシンボルとして定着しつつあります。神社の再建を中心となって進めたTさんは,いま "Wolfship Design" というプロジェクトを通して,丹波山村の町おこしをされようとしています。
村の文化の象徴としての狼。その文化の発信を狼の遠吠えに見立てて,狼グッズの製作や地域文化との共生の呼びかけなどの活動を行なっていこうというものです。その内容を記した ↑ のサイトもとても魅力的です。
今回の玉川さんの個展では,Wolfship Design 製作の絵本,「蒼い夜の狼たち」の予約受付もありました。丹波山村に伝わる狼信仰をモチーフとして,七ツ石神社の再建を下地としたお話です。文章はTさん,挿画はもちろん玉川さんです。
この本の表紙では,二頭の狼が空に吠えています。そして山肌に点々と灯りのように仲間の狼が応えているのも描かれています。
Tさんが七ツ石神社の再建に取り掛かった頃,全くの白紙から一人でのスタートだったそうです。だから丹波山村のグッズとして最初に作られた狼手ぬぐいには,一頭の狼が描かれていた。
でも再建を進めて二頭の狼像の修復がすみ,またその過程でいろいろな人が呼びかけに答えてくださった(各地の寺社から再建・修復の相談などを受ける機会もあったそうです)。それはまるで一匹の狼の遠吠えに,多くの仲間が応えてくれたようだった。だからこの表紙になったと。
僕も一冊予約しました。手元に届くのが本当に楽しみです。そして僕も遠吠えに応えた一人であったならうれしいなとも思います。
(「蒼い夜の狼たち」はこちらから申し込むことができます)
「蒼い夜の狼たち」の原画の世界
お分かりかと思いますが,今回の個展には「蒼い夜の狼たち」の原画が多数展示されていました。ギャラリーの中は再生の物語の場となっており,まさに「謐の声」が響いていたように思います。
七ツ石の狼の遠吠えに応えて,仲間の狼7頭が星明かりのように山を駆け上がってきます。谷筋に広がる山霧が雰囲気満点です。山の上で流れる霧に包まれていく時の,あの空気に,ギャラリーにいながらにして包まれるようです。霧の中には,狼の息遣いがかすかに聞こえてきます。
この絵のタイトルは「Sanctuary」。神社が再建された七ツ石の山ふところが,滅んでいった狼たちのSanctuaryだったらなんてすてきなことだろう…絵とタイトルで泣けてきてしまいます。
おわりに
丹波山村に伝わる狼信仰の美しい世界。これを単なる「滅びゆくものへの挽歌」に終わらせず,再生の物語へと昇華させた玉川さんとTさんに,心から敬意を表します。
すてきな時間をありがとうございました。
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Tさんのnoteはこちら